佐原の町並みを歩いていると、
「あ、今日もいるな」と思う場所があります。
同じ場所で、同じように店先に立っている人。
特別に目立つわけじゃないけれど、いないと少し落ち着かない。
そんな存在って、街の中では意外と貴重です。
今回お話を伺ったのは、大髙園茶舗の大髙さん。
お茶とたばこを扱う、1765年創業の老舗です。
まちぐるみ博物館の登録品が並ぶ店内で、
大髙さんは終始、淡々と、でも気取らずに話してくれました。
ご本人いわく、キャッチコピーはこれ。
「何も考えていない親父」
いやいや、そんなわけは…と思って聞いていたのですが、
最後まで話を聞いてみると、この言葉がいちばんしっくりきました。
考えすぎない。
構えすぎない。
でも、ちゃんとそこにいる。
その“自然体”そのものが、大髙園の空気でした。

「本当に、何にも考えてないんですよ」
大内:
大髙さん、これまでの人生…って聞くと大げさですけど、
どんな感じでここまで来たのかなって、ちょっと聞いてみたくて。
大髙さん:
何にも考えていないで生きてきましたからね。特にないんですよ。
大内:
生まれも育ちも佐原で、ずっとこのあたりの学校に通われていて?
大髙さん:
そうですね。ずっとこの辺です。店は…40年ぐらいかな。
さらっと「40年」と言いますが、
40年同じ場所で店を続けるというのは、簡単なことではありません。
続けようと思っても続かないことの方が多いし、
続けなきゃいけない理由があっても、途中で手放す人もいます。
それでも大髙さんは、
その時間を「頑張ってきた」とは語りません。
だからこそ、この言葉が残ります。
もともとはタバコ屋。日露戦争のころの話
話の流れで、店の歴史に触れると、
大髙さんはさらっと、とんでもない時間軸の話をしてくれました。
大髙さん:
もともとがタバコで、あとお茶なんで。
日露戦争(1905年)までは、タバコがメインでお茶がサブだったんですよ。
タバコとお茶。
どちらも“葉っぱ”で、乾物としての商い。
今はお茶屋の印象が強い大髙園ですが、
時代に合わせて役割を変えながら、店は続いてきました。
昭和50年の改造と、変わった客層
大内:
40年前と比べて、変わったことってありますか?
大髙さん:
一番違うのは客層ですね。
昔は地元の人がほとんどでしたけど、
今は観光客と、外国の人がかなり多いです。
店自体は、昭和50年ごろに大きく改造され、
現在の雰囲気になったそうです。
もともとは中村屋(乾物屋)さんと並ぶような、
文化財的な建物だった時代もあったとのこと。
町の変化と一緒に、
お店も少しずつ姿を変えてきました。

「店頭にいた方が、お客さんにとっていい」
大髙園で印象的なのは、
大髙さんがいつも店先に立っていること。
理由を聞くと、とてもシンプルでした。
大髙さん:
奥から出てくると、
お客さんにとって印象が良くない時もあるんですよ。
だから、ここにいます。
買うつもりで来る人もいれば、
ただ雰囲気を見たい人もいる。
そのとき、
「いらっしゃいませ!」と前に出すぎない距離感。
声をかけるときもあれば、
あえて何も言わないときもある。
この“ちょうどよさ”が、
佐原らしさなのかもしれません。
1765年から11代目。「忠敬好み」を飲み比べる
大髙園茶舗は1765年創業。
大髙さんは11代目です。
看板商品が、「忠敬好み」。
伊能忠敬にお茶を納めていたという記録をもとに、
9代目が再現したお茶です。
現在、店の“2トップ”はこの2つ。
- 忠敬好み
- 金印
大内:
味の違いって、どう伝えたらいいですか?
大髙さん:
説明しても分かんないと思うんで。
実際に飲んでもらった方が早いですね。
時間に余裕があれば、
店頭で飲み比べもさせてもらえるようです。


メモ的に書くなら、こんな感じ。
- 金印:甘い香り、ほのかな渋み
- 忠敬好み:ノスタルジックで、すっきりした味
「お茶って全部同じでしょ」と思っている人ほど、
一度飲み比べてみてほしいです。

看板そのものが、まちぐるみ博物館
大髙園のまちぐるみ博物館の登録品は、
店内外に残る看板類。
お茶の看板、タバコの看板、キセル。
大髙さん:
お茶とタバコ関係のものですね。
商いの歴史そのものが、
そのまま展示になっています。

「現状維持」って、いちばん難しい
最後に、これからのことを聞くと、
答えはとてもシンプルでした。
大髙さん:
現状維持ですね。
派手なことは言わない。
でも、続けることの難しさを知っているからこそ出る言葉。
今日も、大髙さんは店先に立っています。
何も考えていない、と言いながら。
たぶんそれが、この街にいちばん合っているんだと思います。
