シリーズ「先生、飯盛研とまちづくりについて教えてください(第1回)」
飯盛義徳研究会と言えばこの方、飯盛義徳教授にインタビューをしました。
研究会の時間だけでは伝えきれない先生の考え、プロジェクトを行う学生や地域の方に向けたメッセージを聞いてきました。
なぜ、まちづくりを始めたのか
増山
本日はゼミ生・このサイトを見る外部の方に向けてのインタビューを行いたいと考えていますので、よろしくお願いします。
まずは、先生が地域づくりの研究をするに至った経緯を教えてください。
飯盛教授
今になって振り返ってみると面白いことに気づきました。母から聞いて思い出したのですが、幼稚園生の頃に「世直し隊」を立ち上げていたのです。確かに、近所の子供たちと一緒に、自宅や幼稚園周辺の危ないところや修理してほしいようなところを探して、大人たちにちゃんと直すように触れて回るような活動をしていたことを思い出しました。それが直接的なきっかけかどうかはわかりませんが、小さい頃から「問題発見・解決」に関心があったのでしょうか。
もう一つは、中学を卒業してすぐに親元を離れたことは大きいですね。地元の佐賀市を離れて、高校で長崎に出た時に、客観的に地域を見ることができるようになった気がします。
直接的なきっかけとなったのは、佐賀県の地域づくりに関する論文コンテストで賞をいただいたことです。地域の課題解決に関係するお題が与えられ、一所懸命考えることによって、地域に対する思いや愛着は増しました。その背景には、高校や大学などで故郷を離れた経験があるのだと思います。たまに帰ってくると、前より寂しくなったな、ということを実感していて、その思いが論文コンテストへの応募に至りました。そして、その論文が新聞に掲載された際にその案を実現しようという流れになりました。そこで、当時、佐賀銀行に勤務していた横尾敏史さんと出会い、一緒にNPO鳳雛塾を設立することになりました。
増山
なるほど。そのような経緯があったのですね。
先生の授業を受けていて、先生の専攻は経営学だったという認識なのですが、なぜそこから方向転換をされたのでしょうか。
飯盛教授
企業経営だけでなく、非営利組織の経営や地域における事業、プロジェクトの運営にもマネジメントの視点が求められます。効果的なプラットフォームをどうつくるかという知見は、企業はもちろんのこと、地域でも役立ちます。私自身は方向転換をしたという意識はないのですよ。
次回予告
研究室に一年以上所属していますが、先生について知らないことを改めてお聞きすることができました。
つぎの記事ではプロジェクトを行う際のアドバイスを伺いました。皆様必見です!