佐原のまちで活動している人なら、一度はこの方の名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか?
まちぐるみ博物館の立ち上げからおかみさん会の活動まで、20年以上にわたり佐原を支えてこられている香取生花店の香取理恵さんです。
今回のインタビューでは、香取さんのこれまでの歩みや、おかみさん会を続けてきた想い、そして佐原の未来についてじっくり伺いました。
佐原にすでに関わっている方はもちろん、「これから何かしてみたい」と思っている方にとっても、新しい発見があるはずです。

「まちぐるみ博物館」が活動の出発点

平成16年頃、佐原の観光は「来てもすぐ帰ってしまう」という課題を抱えていたんですよね。
そこで、国の支援事業により市からの呼びかけにより、勉強会が開かれました。話題になったのは「どうやって観光客の滞在時間を90分に延ばすか」というテーマです。
そのとき出てきたアイデアが「まちぐるみ博物館」です。
博物館といっても新しい施設を建てるわけじゃなくて、佐原で商売を行う店舗の強みを生かすことを行いました。
佐原の家やお店には、伝統の技や味、代々伝わる古い道具、蔵に眠っているお宝がたくさんある、そういうものを店先で見せたり、お客さんにまちの話をしたりすることで「まち全体が博物館”になるじゃないか」という発想でした。
この発想の面白いところは、建物や資金に頼らず、関わる店主のひとりひとりが“館長”や“学芸員”になれる仕組みだと思います。
お店を営む奥さんたちに声をかけ、実際に、道具などを展示したりして、お客様と直接交流する場が生まれました。
まちぐるみ博物館の立ち上げを通じてこれまで地域で顔見知り程度だったおかみさん同士が、“じゃあ私のところはこれを飾るね”と話し合うようになったんです!初めておかみさん同士の横のつながりができた瞬間だったと思っています。
この活動を続けていこうと自然に立ち上がったのが「佐原おかみさん会」でした。

香取生花店の香取理恵さん

「空中分解させたくない」そんな思いから

私自身、せっかく仲良くなったつながりを、ここで終わらせるのはもったいない。活動を続けたい気持ちが強くありました。
そこで同年代のおかみさん数人と「一緒にやろう」と声をかけ合い、複数で世話人を務める形をとったのです。
最初は戸惑いもありましたが、「やりたい気持ち」が勝り、気づけば20年以上。
当時から現在まで、月1回の定例会は欠かさず開かれています。

家族と仲間の支え

活動を続ける中で欠かせなかったのは、家族と仲間の存在です。
「商売や家事に加えて外での活動も行うとなると、最初は“忙しいのにどうしてそこまでやるの?”と聞かれることもありました。でも町のため、いつかはお店や家族のためになると思っていたし、続けたい気持ちが強かったんです」
やがてその想いは家族にも伝わり、理解と応援を受けられるようになりました。
そして何より仲間と励まし合えたことが大きな力になりました。
2011年の震災直後には佐原の女性が中心となって組織されている会の方々と共に「街を元気にしよう」と復興観光を掲げたポスターを貼ったこともありました。
「一人だったらできなかったことも、おかみさん会や周りの方々の支えがあったからこそ動けたと思います。横のつながりの力って本当に大きいですよね」

市の行事へと育った活動

おかみさん会が仕掛けてきたイベントは数多くあります。
町なかに雛人形を飾る「さわら雛めぐり」、町並みを彩る「さわら五月人形めぐり」や「さわら・町並み・夕涼み」など、いまやまちの年間行事に組み込まれているものも少なくありません。
「私たちが楽しみながら始めたことが、今では“佐原といえば”と言われるイベントに成長していっているのは嬉しいです。自分のお店を大事にする気持ちが、結局は町を盛り上げる力になるんだと思います」

香取理恵さんのお話を伺う大内と河村

次の世代へ

20年を超える活動の中で、仲間も還暦を迎える年齢に差し掛かっています。
「一番の課題はバトンをどう渡すかです。おかみさん会は自分の利益だけじゃなくて“町を大切にしたい”という想いを持って動いてほしいなと思います。」
最近は大学生や子育て世代とも交流する機会が増え、視点を広げる大切さを感じています。
「若い人の柔軟な発想に触れると、自分たちの考えも凝り固まってはいけないなと思わされます。おかみさん会も形を変えながら、次の世代に渡していきたいですね!」

佐原への想い

「一番好きなのはお祭り。大切にしたいのは佐原のまちです。子どもの頃は当たり前すぎて気づかなかったけれど、大人になって改めて町並みや文化財の価値に気づきました。親が苦労して構えた店、この場所で生き抜いていこうと思えるのは、おかみさん会や博物館の活動があったからです」

香取さんとメンバーの夕涼み会の様子

香取さんの言葉からは、佐原のまちを「自分の家のように大切にしたい」という温かさと強さがにじみ出ていました